寺山の『永山則夫の犯罪』には、次のように書いてある。
<彼は呪いつづけることによって、自発性たりうる青春をもつことができた。だが、彼は彼の固有性、その俗物的野心、虚栄心、欲望、清潔好き、孤独、自尊心、純情、——-といったもののすべてを、ルンペン・プロレタリアートという一般化へ封じ込めてしまって、彼自身の『日付』を焼き捨て、加害者から被害者へ——-無知から知識人へという転身をはかったのである。私は、彼のこうした『見事な変身』をまったく信用しない。いつのまにか、知識によって矯め、育て、制御されつつ失われてゆく毒の部分を、革命への起動力としてゆくこと、すなわち呪詛の革命性の方を、はるかに有効だと思ってきたからである。自分の面倒を見てくれなかった母親に『死んだ人さ、手えついてあやまれっ』と怒鳴り、『手紙出しても、金はもとより返事さえも送られてこない』兄弟たちを殺そうと思い、そして『自分のようなルンペン・プロレタリアートを生み出した国家が犯人だ』とひらき直る永山には、つねに『私』という視点が欠落している。何一つ、『自分の選択』と見做さないのが永山の弁証法なのだ。だが、永山の『原因があって、結果がある』と言う考え方は現実的ではない。何事も、『結果が出てから原因が見つけられる』のであり、結果のない原因などというのは存在しないからである。あらゆる意味も定義も本質も、存在に先行することはできない。まず、『何かが起こり、それからすべてはじまる』のである。私は私自身の原因である。この認識をもたぬ限り、永山はいつまでも、他人の不始末に原因をもとめつづけて、自分の無主体性を、正当性だと言いはろうとする。だが、『私は、私自身の原因である』と言い切れるものだけが、歴史的思考をあらたに生成する自由をもつのである>