Kow K. 2009/01/01 19:27
はじめまして.コメントを頂いたエッセイの著者です(笑).P. Bourdieu の仕事との類似性の指摘,どうもありがとうございました (このページの存在は,京大の yt さんからの紹介で知りました).以前から Bourdieu の研究は気になっていたのですが,近頃,まとまった時間が取れなくて,手を出せずにおりました.年末に時間ができたので,『構造と実践』読んでみました.
正直に言って,びっくりしました.何でこんなに自分と同じような感受性をもち,自分と同じようなことを考え,自分と同じようなことを言うヤツがいるもんか?と(笑)
翻訳なので,何を言っているのかわからないところもありましたが,わかるところ関していうと,自分の考えが他人の語り口で述べられているような奇妙な感覚をもちました.
特にビックリしたのは<関心>と<利害>とが表裏一体であることを Bourdieu が明確に意識している点です(interestsの訳に<利害>をあてているのは秀逸と思いますが,Bourdieu は interests が関心と利害の二重の意味をこめて使っていると思うので,個人的には<関心=利害>と訳して欲しい気がします).ヒトの個体は生物の個体として<関心=利害>に従って動くのであり,<規則>に従って動くわけではないというのは私の確信ですが,それと同じ確信を Bourdieu はもっているように思います.
更に言うと,Bourdieu が規則性と規則の区別が概念的な区別が必要で,規則性が認められることは規則が存在することを含意しない,なんてことを言っているのも,以前に自分が書いたことと瓜二つでビックリです.
ご存知のことかと思いますが,N. Chomsky は能力 (competence) と運用 (performance) とに分け,前者を文法 (grammar) と同一視し,言語学の対象を前者であり,後者ではないと規定しました.この区別は時代を遡れば de Saussure の言語体系 (langue) と語り (parole) の区別に対応します.Saussure も語りは言語学の対象ではないと,少なくとも一度は講義録で述べている(らしいです).
これは言語学で正統な問題設定ですが,言語能力や言語体系の中には<関心=利害>の出番がありません.その出番があるのは,運用や語りの中です.私は進化生物学的,社会学的な関心が強いので,これが非常に不満でした.Wittgenstein が Spiel のアナロジーを持ち出して説明しようと思ったのは,ヒトのコトバがヒトの行動の一部である以上,その顕われは個体の<関心=利害>から絶対に分離できないということです.語りや言語の運用が Bourdieu の habitus の一例であろうというのは,まさにご指摘の通りです.
最後に翻訳を読んで感じる違和感に関連して一言: Habitus が<性向>と訳されているのは,どうもしっくり来ません.私の背景知識は限られていますが,Bourdieu が habitus という術語を使って言い表わしたかったことは,むしろ<技(能) (skill(s))>や<(技)術=art>のことではないか?という気がします.これは推測でしかないのですが,仮にその読みが正しいとすると,Bourdieu の仕事は,M. Polanyi の言う暗黙知,齋藤洋典の言う身体知=技の発生学だと再解釈できるように思います.更に,N. Bernstein の調節の理論との係わりも明確になってくるでしょう.彼が habitus の様相を記述する時,それは私に Bernstein の言う高度の調節を思い起こさせます.これは偶然ではないと思います.
Bourdieu をもう少し読みこなしたら,それに合わせて「言語学とは何か? また何であるべきか?」を改訂すると思います.その時には amourix さんに謝辞を献じたいと思います.どうかお受け下さい.
【ルール】と【プレー】のちがい、そして【構造】と【実践】のちがい - Vomit Comet
あわわわわ,せっかくリプライを頂いていたのに長い間見落としていました…ごめんなさい.by Gen
4 months ago