目が痛くて涙が出ているのではなく、鼻が痛くて涙が出ているんですよ。
よって有効なのは目を守るのではなく、鼻を守ること。
ティッシュを鼻に詰めて切ってみてください(人に見られたくないですが…)
ぜんぜん痛くないですよ。
語ったり書いたりしてみるまでは、自意識のナルシシズムが固着している。 書いてみて、それがなんでもない素材でしかないことに気づく*4。 それを一回性と受けとめるのは、至近距離の愛情関係だけであり、そうでなければ商業的に一回性を仮構された芸能人のような存在になる*5。――みんながそういう存在になりたがっている。
この現象経験に、特別な一回きりの経験なんてあるはずないのに。それにだいたい、より深刻な経験をした人はみんな死んでる。ろくに語られもしないまま。
「自分を特権化するため」ではなくて、「自分のいる場所を素材化するため」に語る。それをみんな怖がっている*6。
「囚人番号みたいに人を番号に還元するのではなく、個性を尊重しましょう」というのは、それが有効に機能する政治的場面はあるだろうけど、結局は過渡的なことでしかない。むしろ本当に必要なのは、自分を識別番号ぐらいで見ておいて、あとは自分の置かれた場所の分節をこそ鬼気迫るディテールで行うことだ。むしろ、そのような分節の場所としてみずからを過程化すること。 ▼ドゥルーズやニーチェが「意味ではなく強度」と言ったのは、そういう「分節の強度」だったはずだが、私たちは「強度」を、嗜癖的な意味でしか理解しなかったんじゃないのか。
6 :名無しさん@英語勉強中:2009/07/11(土) 17:10:43
前スレから
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Chiezo 2005.ld2
Eijiro v86 English-Japanese.ld2
Eijiro v86 Japanese-English.ld2
Jukuu Chinese-Japanese Sentence.ld2
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Genius English-Japanese.ld2
Genius Japanese-English.ld2
Longman Dictionary of Contemporary English.ld2
Meikyo Japanese Dictionary.ld2
Misaki.msi
1 month agoak47:
Richard Drew, ‘The Falling Man’ 9:41:15 AM, 9/11/2001
(via wonderlandcode831)
1 month ago1 month ago・IMEEM
http://www.imeem.com/
いわずと知れた音楽共有SNS?といったところでしょうか。最近ではiPhoneからも聞けることも出来るようになったしミュージックビデオ等も豊富にあるので重宝します。FLV方式でDLしてMP3なんかで聞いたりも出来ます。日本人アーティストも検索がかけれるし最近増えてきました。著作権?こまけぇこたぁいいんだよ!
・BBC RADIO1
http://www.bbc.co.uk/radio1/
こちらは有名なイギリスの公共放送局のネットラジオ。色々なアーティストをゲストに呼んだりプログラムも豊富にあります。僕のおきにいりはDANCEのプログラムでEssential Mixなんかは毎回有名なアーティストのDJsetやLIVE音源なんかが聞けます。
・vpro 3voor12
http://3voor12.vpro.nl/3voor12/index.jsp
オランダの公共放送局のネットラジオ。こっちはRADIO1とちょっと違ってアーティストの検索とかかけれて音源もずっと置いてあるのでいつでも聞けまるし最新のDJsetとかもパーティの次の週には紹介されてるので仕事中に重宝してます。
紹介されてるアーティストの量もカナリあるし、90年代の音源とかも聞けるし、アーティストによっては発売されてない新譜やアルバムがフルで視聴できたりします。
ただ、ちょっとサイトが重いのが難点かな。
・SAMURAI.FM
http://www.samurai.fm/home/indexja.php
主にクラブミュージックの音源を紹介してくれるネットラジオ。
sonarの音源を毎年紹介してくれるし、アーティストもアンダーからメジャーの人たちまで紹介してくれるので、こんな人いたんだ!なんだこいつかっけーな!という驚きもあります。SAMURAI.FMのクラブイベントもいいゲストを呼んでくれるので面白いです。
・Deep Mix Moscow Radio
http://deepmix.eu/
モスクワのクラブミュージック系のネットラジオです。名前の通りDEEPなハウスやらテクノやらが聞けます。まったり聞きたい感じの時にはいいんじゃないでしょうか。
iTunesとかからも聞けますのでどうぞ。
・RA: Resident Advisor
http://www.residentadvisor.net/
こちらもクラブミュージックのDJやアーティストの音源を紹介してくれるネットラジオ。ポッドキャストとして聞くことも出来るので登録しておくと便利です。
アーティストのチョイスがとてもいいです。その他にアーティストの各国の来日情報なんかも見れたりできるので思わぬ収穫があったりします。
・MIXRIOT
http://www.mixriot.com/
色々な過去のネットラジオで流れたライブ音源やらDJsetやらおアップしてるサイト。ここでその音源も聞くことができます。ただしDLする場合はお金を払わないとDLできません。なんかそこに釈然としない気持があるのですが、まあ聞き逃した!というプログラムを聞けるので便利っちゃ便利です。
他にも色々聞いてるサイトがあるのだけど、今回はこの辺で。
ほんとここ数年で過去のアーティストの音源をリスト化して聞けるようになったサイトが増えて助かります。
少し前だったら入手するのに海外のサイトで外人とコンタクトしてアップしてもらったりとかホント大変だったのに今は凄く楽!アップしてくれてる人に感謝します。
寺山の『永山則夫の犯罪』には、次のように書いてある。
<彼は呪いつづけることによって、自発性たりうる青春をもつことができた。だが、彼は彼の固有性、その俗物的野心、虚栄心、欲望、清潔好き、孤独、自尊心、純情、——-といったもののすべてを、ルンペン・プロレタリアートという一般化へ封じ込めてしまって、彼自身の『日付』を焼き捨て、加害者から被害者へ——-無知から知識人へという転身をはかったのである。私は、彼のこうした『見事な変身』をまったく信用しない。いつのまにか、知識によって矯め、育て、制御されつつ失われてゆく毒の部分を、革命への起動力としてゆくこと、すなわち呪詛の革命性の方を、はるかに有効だと思ってきたからである。自分の面倒を見てくれなかった母親に『死んだ人さ、手えついてあやまれっ』と怒鳴り、『手紙出しても、金はもとより返事さえも送られてこない』兄弟たちを殺そうと思い、そして『自分のようなルンペン・プロレタリアートを生み出した国家が犯人だ』とひらき直る永山には、つねに『私』という視点が欠落している。何一つ、『自分の選択』と見做さないのが永山の弁証法なのだ。だが、永山の『原因があって、結果がある』と言う考え方は現実的ではない。何事も、『結果が出てから原因が見つけられる』のであり、結果のない原因などというのは存在しないからである。あらゆる意味も定義も本質も、存在に先行することはできない。まず、『何かが起こり、それからすべてはじまる』のである。私は私自身の原因である。この認識をもたぬ限り、永山はいつまでも、他人の不始末に原因をもとめつづけて、自分の無主体性を、正当性だと言いはろうとする。だが、『私は、私自身の原因である』と言い切れるものだけが、歴史的思考をあらたに生成する自由をもつのである>
通常ヒトの細胞には遺伝子は二個(2コピー)あり、一つは父方、もう一つは母方に由来するというのが定説となっています。しかし近年、個人によっては一つの細胞あたりある遺伝子が一個(1コピー)しかなかったり、あるいは3個(3コピー)以上存在するといった遺伝子の数の個人差(コピー数多型=Copy Number Variation: CNV)があることが注目されていました(図1参照)。 疾患のリスク、様々な薬の治療応答性、副作用の違いといった個人の体質差を生み出す原因として、これまではSNP(一塩基多型)に代表される個人間の遺伝子の”配列の違い”が良く知られていますが、近年見つかったコピー数多型(CNV)といわれる現象は遺伝子の”数の違い”であり、遺伝子をまるごと含むような数Kbp~数Mbpの長さの大きな領域の数が個人間で異なるというものです。
[ コピー数多型(CNV)とは? (ウィキペディア) ]
http://www.lsbm.org/news/2006/img/news_CNV_fig01.gif
日本では、いわゆる左派も同様にグローバリズムや規制緩和の動きに反対する傾向が強く、同質の権威主義に見える。特に日本における、いわゆる左派の表層的には反ナショナリズム的な言動は、実際にはナショナリズムと等価になっている点について森村氏は、次のように明確に指摘している。
政治思想におけるリバタリアニズムの大きな特徴の一つは、国家への人々の心情的・規範的同一化に徹底して反対するという個人主義的要素にある。リバタリアニズムの観点からすれば、国家や政府は諸個人の基本的権利を保護するといった道具的役割しか持たない。それ以上の価値を認めることは個人の自由だが、それを他人にまで強いるのは不当な介入である。国民的あるいは民族的なアイデンティティなるものが各個人にとってどのくらい大切か、社会にとってどのくらい有益かは一つの問題だが、ともかくその確立は政府の任務ではない。
ところが今の日本では、ナショナリズムに一見反対している論者たちが戦争世代が戦争責任の引き受けることを主張するというねじれが見られる。しかしそれは日本人すべてに、戦前戦中後を通じた「日本人」という国民集団への人格的帰属を強いることになる。これこそ否定されるべきナショナリズムの一類型である。国が何らかの責任を負うからといって、国民が人格的な責任を負うということにはならない。