さて、濱野さんの提示するアーキテクチャ論は「多様な価値観を持った人々に対して、単一のインフラとして機能するアーキテクチャ(主に情報システム)を通じて、自動実行的に社会を動かすべきではないか」というものです。自動実行といってもプログラミングされた通りに人々が動くようなツマンナイ話ではありません。
例えばニコニコ動画はインフラとして機能してます。その上で作られるコンテンツについての規定は非常に少ない。著作権侵害については「権利者に削除権を渡して、自由に消させる」という仕組みだけを用意することで解決をしています。こうしたアーキテクチャはユーザーの行動に一種の方向性を与えます(ある種のギリギリを楽しむ動画が出現することも含めて)。
この”インフラとして機能するアーキテクチャ”というのを突き詰めたのが、(都市伝説だけど)「マクドナルドは椅子の堅さと温度で回転率を調整してる」というような人々の無意識に働きかけるアーキテクチャの存在です。
マクドナルドの例を初めて、こうしたアーキテクチャ論は無意識の統制や管理社会を連想しがちです。しかし、ポジティブに捉えなおせば「普通の人がやりたくないようなこと、放っておいたらダメダメになってしまうようなことでも社会的に実現できる可能性がある」と言えます。
例えばベーシックインカム。ベーシックインカムを簡潔に言うと「死なない程度のお金を毎月あげるから、将来の保証とかは一切なしね」という考え方です。ところが、このお金を生きるためではなくて娯楽に使ってしまうダメダメな人が出てくるかもしれない。であれば、電子マネー化して食料品にしか利用できないようにしてしまう。そうすればベーシックインカムが正常に機能する可能性があるのではないか(他にも東さんの民主主義2.0とか、仮想キャラクターによる政治とか、いろいろ例は出ていました)。
ところが、こうした”無意識のアーキテクチャ”にはアーキテクチャのルールが分かった瞬間から悪意との戦いが始まるという宿命があります。前述のベーシックインカムの電子マネー化であれば、おそらく食料というカテゴリを通じて何か裏をかく人がでてくる。
江渡さんは「Googleの20%ルールを裏返せば、80%はスパムとの戦いという作業」と指摘したうえで「誰が、それをやりたがるのか」という疑問を投げかけています。ある種の正義感や責任感が機能する可能性はあるものの、明確なロジックを組み立てることはできないでしょう。
というわけで、「”無意識のアーキテクチャ”というのは存在するし、それは現実社会でも有効に機能する可能性はあるけど、実際やるとなるとスパム対策が大変すぎて本当にやれるの?」というところで話がぐるぐるというのが前半。